2009年3月に完成したペムシ待望の3rdアルバム「My Way」、amazon.comで発売中です!
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Daps&field-keywords=pemsi

全10曲 解説・日本語対訳・チベット語アルファベット表記付きです。

インドを拠点に活動する、

チベット人シンガーソングライター・ペムシ。
彼は現在、自身のサードアルバムを製作しています。しかしCD製作に必要な資金が不足しています・・・・・
今回のアルバムは日本や海外でも通用する高品質のものを作るため、音質、印刷ともクオリティが高く、安価な台湾でのCDプレスを考えています。枚数は少なくとも3000枚。
そのためには約30万円余の費用が必要になる見込みです。 そこで、賛同者の方よりお金をお預かりし、CDが完成しましたら金額分のCDをお送りする形で、支援していただける方を募集いたします。 募集内容は以下の通りです。

 <募集金額>
*10000円→CD5枚でお返し(4枚+1枚サービス)
*5000円→CD2枚でお返し
 
 <送金方法>
*郵便振り込み (翌1月5日より銀行からもお振込み可)
@お振込み先
 記号14360 番号11468351
 【口座名】サポート ペムシ

・2009年1月5日より全銀システムによる振込サービス開始後は、
下記口座に他金融機関からもお振込みいただけます。
【店名】四三八 【店番】438 普通預金【口座番号】1146835 
口座名】サポート ペムシ
 
 !お振込の際は、お名前/CDの送り先/お振込み金額/ご連絡先
 を明記のうえ、supportpemsi@gmail.com までメールでご連絡ください。

その他ペムシやプロジェクトに関するお問い合わせも上記メールまでお願いいたします。
 
 チベット難民社会のアーティストたちは、プロダクション等のバックアップもなく、CD製作費はすべて自己負担です。また、音楽活動で生計を立てるのも容易ではないというのが現状です。
 インド内でも非常に鋭いセンスを持ったアーティストたちが出てきています。
ペムシをはじめ若いアーティストを支援することは、これからのチベット社会に重要な意味を持ってきます。
伝統と現代的なセンスを併せ持つ彼らの活動が、チベット社会全体を活性化し、外の世界にも"チベット”を認知させる存在になるでしょう。
 ペムシは1984年チベット・ラサで生まれ、8歳でインドに亡命。ダラムサラのチベット人学校・TCVを卒業後、音楽活動をスタート。デビューアルバム「REWA(希望)」に収録された曲「Ama Jetsu Pema(ダライ・ラマ法王の実妹でTCV前校長のジェツン・ペマさんへの想いを歌った)」が大ヒットし一躍有名に。法王関係のことを歌ったこの曲がチベット内でも大ヒットしたため、ペムシはチベットに帰ることは難しくなってしまいましたが、インドに留まり、音楽でチベット社会に貢献できることを信じ、精力的な活動を続けています。
 
 
 ペムシのプロフィール、曲の試聴、写真&動画はこちらで↓
 

12月15日NHK-FMで放送されたアジアポップスウィンドでペムシと,
今年の来日コンサートで共演したチベット伝統音楽の第一人者テチュンさんが紹介されました。番組用に収録されたペムシのインタビューの全文を紹介します。
******************* 
Q. プロフィール(出身地)
チベットのラサで生まれました。
両親ともにラサ出身です。

Q. 音楽を始めたのはダラムサラに亡命してから?
小さいころから音楽が好きでしたが、習うようになったのはTCVの3年生ごろだったと思います。

Q. TCVとは?
インド各地に分校を持つチベット人のための学校で、学生の多くはチベットから亡命してきた子供たちです。
その中で一番大きなダラムサラのTCVでは2500人以上の子供たちが勉強しています。

Q. 亡命のいきさつは?(8歳の時どのように亡命をしたのですか?)
チベットからインドへ渡るにもいろんな方法がありますが、私はラッキーだったほうで、道中、あまり困難には遭遇しませんでした。私をインドへ送り教育を受けさせようという祖父母(*)の意思で、祖父とともにインドまで来て、その後祖父はチベットに帰り、私はインドに残されました。
*注(ペムシの両親は彼が小さい時に離婚したため、血縁はない老夫婦の元で育った)
インドまでの道程の半分は徒歩で、半分は車で来ました。
実際ほとんどの人々は険しい道を歩いて渡って来ます。私の弟も雪山を登って来なくてはなりませんでした。
でも私は幸運にも道程の半分は車で来ることができ、また徒歩のときも雪道ではなく国境あたりの、あまり険しくない道でした。
中国政府が発行したIDを持っていない人々はバスや車で国境まで来ることはできないので、多くの人は雪山を越えて逃げて来ることになります。私はそのIDを持っていたので国境まで車で来ることができました。

Q. TCVで音楽を始めたそうですが、どういう風に始めたんですか?
 両親とも音楽が好きな人だったので小さい時から音楽には慣れ親しんでいましたし、
学校(TCV)での音楽活動の中で、自然に興味が湧いてきて音楽を始めました。
それから音楽の先生に教わるようになり、学校生活のほとんどを音楽に費やしました。
音楽の先生はチベットで優れた音楽家だった方たちや、TIPAからも教えに来てくれ、チベット各地のさまざまな伝統音楽を教えてくれます。
音楽に興味のある子供たちは、そういった先生たちから直接音楽を学ぶことができます。

Q. TCV卒業後、TIPAに入ろうとは思わなかった?
TCV在学中ずっと音楽に時間を費やしてきた成果として、TCV卒業後ファーストアルバムを製作しました。
そのあと自分の音楽技術を磨くためTIPAで1年間勉強しました。

Q. ダラムサラでの若い人たちの音楽の取り組み方の現状は?
以前のチベット音楽にはポップスやその他現代音楽は少なく、若者たちにとっては伝統音楽は退屈なものなので洋楽やインドのポップスのほうが好まれていましたが、最近では新しいジャンルの音楽が生まれ、そのおかげで若者たちの中でチベット音楽への人気が高まっています。
新しい歌手も沢山出てきています。現代音楽では曲を通して自分のメッセージを伝られるのも魅力ですから歌手はどんどん増えていっています。

Q. ペムシさんにとって伝統音楽とは?
私個人的には伝統音楽は好きで関心もあるし、勉強もしています。ただ、伝統文化は非常に大切だけれども、伝統音楽ばかりになってしまうと、特に若者の興味が失われてしまうので、自分が作曲する時は、ポップスやR&Bなどの新しいジャンルの音楽を取り入れるようにしています。そして今後、チべタン・ポップスが日本や韓国、台湾などのポップスと肩を並べて一緒に歩んで行ければと思っています。


Q. これからチベットの音楽はどうなっていくと思う?
チベットの現代音楽はこの11,2年の間にゆっくりと成長してきました。これからは他のアジアのポップスのように伝統音楽も現代音楽も洋楽もすべて織り交ぜたスタイルに徐々になっていくのではないかと思います。
将来的には、今あるアジアンポップスの一角を担うことが出来るのではないかと思っています。

Q. 影響を受けた音楽家は?
小さい時から歌うことが好きだったのですが、
洋楽ではボブ・マーリー、イーグルス、エリック・クラプトンなどから影響を受けました。
チベット音楽では、テチュンさんや、チベット本土のヤドンなどの歌を聞いて、練習しました。
あとは、R&Bが好きで、Usher(アッシャー)の歌い方に一番影響を受けました。
私のレワ(Rewa希望)という曲は、チベット音楽のなかでR&Bとラップを取り入れた初めての曲です。
ネパールでレコーディングをした当時、ヒップホップが非常に流行っていて、レコーディングスタジオのマネージャーとの話し合いで、生でラップを入れる予定だったのですが、予算的な問題で結局サンプリングになってしまいました。

Q. 最近のお気に入りの音楽は?
ジャズやR&B, ブルース、レゲエ、レゲトン、トランスなども含めあらゆる音楽を聴いています。ジャンルそれぞれ歌い方が違いますし、色々な音楽に関心を持ち勉強するようにしています。そしてチベット人たちがどんな音楽を好むか考えながら作曲にアイデアを取り入れています。

Q. 作曲はどのようにしているのですか?
私の曲はほぼ実体験に基づいて作っています。他のアーティストのために作るときは、詞があればまず、その詞を感じるようにしています。悲しい曲なのかラブ・ソングなのか、チベットの自由のことを歌った曲なのかをイメージし、歌詞のイメージから来る感情をベースにストーリーを作り曲を付けていきます。
曲を作るときは、詞が先にくることも、曲が先にくることもありますし、詞と曲と同時進行することもあります。ギターを弾きながら、曲の構成を考えて、書きとめながら曲を作ります。

Q. 今回はソロでの来日でしたが、ダラムサラでは、バンドで活動しているのですか?
TCVでは、学生バンドをやっていましたが、実際インドでバンドを維持していくのは難しいことです。
ひとりひとりが経済的な問題を抱えているために、仕事をしながらバンドに時間を費やすことが出来ないんです。
レコーディングをする時は、昔からの知りあいのミュージシャンたちが来てくれたりするのですが、外国でのコンサートとなると渡航費など多くの費用が掛かるのでバンドの実現はなかなか難しいです。

Q. 普段はどういう形態でライブ活動をしていますか?
バンドでライブをすることもありますが、今は、ソロ・シンガーとして活動しているので、ソロで活動することが多いです。インド国内のほか、2006年には、カナダ、そしてスイス、アメリカでコンサートを行いました。
インド各地でのコンサートも沢山行っています。ダライ・ラマのお誕生日や、チベット正月とか多くの人が集まる機会にやっています。来年のチベット正月には、全インドのツアーを計画しています。
インドではチベット人の観客が多いですが、ダラムサラは、外国人旅行者が多いので、インド人に限らず世界各国の方の前で歌っています。

Q. 歌に込めるメッセージはどんなことですか?
まず最初のアルバム「レワ(希望)」の中に入っている、「アマ・ジェツン・ペマ」という曲は、ダライラマ法王の実妹である、ジェツン・ペマさんに捧げた曲です。彼女は、インドに亡命して、家族もない一人ぼっちな私に、本当の母親のように愛情を与えて、悲しみを癒してくれました。それに対する感謝の念をこめて作りました。
それから、「Ngatso Nyamdu Yoe(ンァツォ・ニャムド・ユ)/We Are With You」という曲は、今年のチベットの騒乱を受けて、チベット本土で苦しんでいる同胞たちに向けて、インドとチベットで私たちは離れているけれども心はひとつであるという、励ましのメッセージを込めて作りました。

Q. 今後の予定は?
一番大きな夢は、チベット人社会の中で、チベット音楽のためのレコーディング・スタジオを作ることです。
現在インドにチベット人のスタジオはないので、チベット人社会の中にスタジオを作ることで、チベット音楽の発展に貢献できると考えています。そこで新しいアーティストたちの手助けをし、育てていきたいと思っています。
スタジオを作るには膨大な費用がかかりますし機材も高いですから、これは私個人ではどうにもならないので、今はまずプログラミングなどの技術的な部分を勉強しています。自分が技術を習得していれば誰かにスタジオのアイデアを話す時にも説得力があるでしょうから。そして将来、資金面でサポートしてくださる方が現れてくれるといいのですが・・・。


Q.「Lhase Bumo」について
“ラサの女の子”という意味の歌なのですが、ラサの女の子のことを詩的な表現で描写し褒め称えています。チベットの各地方で「~~の女の子」という曲がありますが私はラサ出身なので「ラサの女の子」を歌うとしっくり来るので。この曲はR&B調でディスコなどに似合う、若者たちが好むような曲にしたくて作りました。ラサのバルコル広場で女の子に出会って、そこから広がるイマジネーションの世界です。ラサで今もヒットを続けていて、今回の日本や各地でも好評で、ステージでもよくアンコールの声を頂きます。

Q. チベット国外で作られている曲も、チベット本土に入ってきているのですか?
インドで作られた曲は、チベットでも好まれて沢山聴かれています。インドでは、チベットの政治的なことでも自由に歌えますから。チベット国内では、政治的な内容の曲は歌うことも聴くことも、売り買いすることも禁止されていていますが、闇で出回ってコピーされて広まっています。

Q. チベット人の魅力は?
チベット人と日本人はたくさん共通点があって、他人に対する思いやりや、敬う気持ちがとても似ていると思います。
チベット人独特の魅力としては、人や動物などに対して慈悲の心を持つということが身に付いているところだと思います。野良犬などを見ても、口からすぐ「かわいそう」という言葉が出てきます。ほんとに思っているかどうかは別として、それが何世代も前からのDNAとして染みついていて、口から自然に出てきてしまう、という感じです。あとは急に言われると思い浮かばないですね・・・。

Q. 日本の第一印象は?
日本に来てまず、日本をとても誇りに思いました。というのは、今まで西洋の国には行きましたが、今回初めて同じアジア、日本に来て、技術が非常に発達していて、人々は親切で、チベット人と日本人は外見も中身も似ているので、まるで自分の国にいるような感覚になりました。自分の国がこんなに発展しているようでとても誇りに思い、同じアジア人がこんなに頑張っているんだと嬉しくなりました。

Q. テチュンさんは、ペムシさんにとってどういう存在ですか?
音楽家として大先輩であるということと、伝統音楽を純粋に継承している非常に凄い方だと尊敬しています。
私は、小さい頃からテチュンさんの音楽が好きで聴いていましたし、楽器の弾き方なども影響を受けました。
非常に優れたチベット伝統音楽家であり、ご自分の人生を音楽に捧げている、純粋な音楽家だと思います。

Q. 現在、欧米で活躍しているチベット人アーティストは沢山いますが、世界に進出したいですか?
確かに、お金を稼ぐ面では、欧米に住んだほうが良いのかもしれません。私もアメリカやカナダへ行き、チベット人たちの生活を見ましたが経済的に豊かでいい生活をしています。でも音楽のことを考えると、
チベット亡命社会というのは、インドが一番大きいので、インドにチベット人のためのスタジオを作ることができれば、それが一番のチベット人社会への貢献になると思うので、インドのチベットコミュニティーの中で頑張って行きたいです。